ベンチアバリカルブイソプロピルの発見経緯

ベンチアバリカルブイソプロピル
ベンチアバリカルブイソプロピル

本剤の研究を開始した当時、治療効果を有する浸透性のべと病・疫病防除剤としてホセチルやフェニルアミド系剤のメタラキシルなどがあったものの、耐性菌対策等の点からも新しい作用機作を持ち、低薬量で予防活性とともに優れた治療活性を示す剤の開発が強く求められていた。

リード化合物探索の中で、メタラキシル同様にアミノ酸骨格を有するバリンアミドカーバメイト誘導体に着目した。我々はシタロン脱水素酵素阻害剤であるカルプロパミドの周辺研究から、ベンゾフラン環がベンゼン環の好ましい生物学的等価体となりうるという知見を見出していた。そこで、バリンアミドカーバメイト誘導体のアミドアミン部位にベンゾフラン環を導入したところ、シタロン脱水素酵素阻害剤の場合と同様に、プロトタイプ化合物同等以上のべと病・疫病活性を示したことから、これを新たなリードとして展開を開始した。

我々はまず、ベンゾフラン誘導体での構造と活性との関係を、べと病予防効果を指標として検討した。その結果、アミノ酸部位は(L)-バリンが必須であり、そのN末端はカーバメイト型構造のみが活性を示し、特にイソプロポキシカルボニル基が最適であった。ベンゾフラン環の置換基としては5位に電子吸引性基を導入する事で高活性を示し、特にクロル基やニトロ基が高活性であった。また、ベンゾフラン環のα位については絶対配置が(R)のメチル基が最適であり、無置換体、ジメチル体では活性が弱かった。ベンゾフラン誘導体の最適化合物はべと病に対する予防効果は高く圃場試験でも比較的好ましい結果を得たものの、治療活性が弱く目標を達成するものではなかった。

べと病・疫病に対する予防活性及び治療活性の向上を目的に、化合物の物理化学的な特徴と生物活性との関係を考慮しつつ展開を進めていたが、ここまでの知見でアミノ酸部位は活性を示す骨格が限定されており、高活性化の可能性が低いと判断し、合成展開の中心をアミン部位においた。また、ベンゾフラン誘導体の最適化での知見から、1)予防活性についてはアミン部位芳香環の電子吸引性基の存在が大きく影響し、2)治療活性については化合物の水溶解度が大きく影響している傾向がみられたことから、それらの点に留意した展開を進めた。

ベンチアバリカルブイソプロピル

芳香環を有する各種アミンへの変換を行った結果、ベンゾチオフェン誘導体、ベンゾチアゾール誘導体が高いべと病予防活性を示したため、この周辺について更なる検討を進めた。ベンゾチオフェン環、ベンゾチアゾール環の置換基としては、共に6位に電子吸引性基を導入した化合物の活性が高く、特に立体的に小さなフッ素原子を導入した化合物が最高活性を示した。また、アミノ酸部位について構造と活性との関係を再検討したところ、当初ベンゾフラン誘導体で得られた関係と全く同様な結果であった。

ベンゾチオフェン誘導体とベンゾチアゾール誘導体を比較すると、ベンゾチアゾール誘導体が予防活性、治療活性共に優れたが、特に治療活性についてはベンゾチアゾール誘導体で環上にフッ素原子を導入することで、化合物の物性に良い影響を与え、治療活性や移行性等を改善することができた。最終的に適度なlogP値、水溶解度を持ち、各種べと病・疫病に対し高い予防活性と共に、高い治療活性を有するベンチアバリカルブイソプロピルが、開発化合物として選抜された。

ベンチアバリカルブイソプロピルには2つの不斉炭素があるため、4つの光学異性体が存在する。このうちで活性を示すのは、絶対配置がアミン部R、バリン部Sの異性体のみであり、アミン部位、アミノ酸部位それぞれの立体的な環境が活性に大変重要であることが明らかとなった。

ベンチアバリカルブイソプロピルは光学活性体であるため、如何にして不斉炭素を導入するかが重要なポイントとなる。そのための鍵中間体である(R)-(6-フルオロ-2-ベンゾチアゾリル)-1-エチルアミンの合成は、1)反応工程・単離操作行程が少ない、2)各ステップが高収率である、3)安価な原料が使える、4)廃棄物が少ない、5)光学活性アミンを効率良く得る事ができる、などの理由により、(D)-アラニンのNCA(Nカルボキシアミノ酸無水物)を用いたルートを採用した。NCAはそれ自体アミノ酸のカルボキシル基を活性化しさらにアミノ基も保護している反応性に富んだ化合物である。我々は(D)-アラニンNCAを不斉源としo-アミノチオフェノールとの反応を検討し、(R)-(6-フルオロ-2-ベンゾチアゾリル)-1-エチルアミンを高収率で、しかも99%以上の高い光学純度で合成できることを見出し、最終的にp-フルオロアニリン、(D)-アラニンおよび(L)-バリンを主原料として全6工程でベンチアバリカルブイソプロピルを合成できるルートに仕上げることができた。

我々は、幸いにして当初目標とした「高い予防効果に加えて強力な治療活性を示し、優れた移行性を有するべと・疫病剤」に何とかたどり着くことができた。本剤に関わる研究においては、リード化合物の基本的な殺菌活性の向上とともに、治療効果、移行性をいかに付与するがが重要なポイントであったが、化合物の物性値と生物特性との関係の詳細を把握し、最適なヘテロ環を部分構造に導入することで、基本活性の著しい向上とともに治療活性の飛躍的な改善を図り、結果として既存のべと・疫病防除剤に比べて優れた特性を持った薬剤を選抜することができた。